2010年8月19日木曜日

Wed, Aug 18

  • 00:24  町山のインセプション評はこっちの方が少しだけ詳しい。 http://j.mp/cXqv8N >本作のテーマを、多くの現代映画が描いてきた、「これは現実ではないかもしれない」という「疑い」そのものへの反省と解釈 http://j.mp/dAKf9o
  • 00:31  http://j.mp/9w86DL ぼくは「去年マリエンバートで」を、最近まで観たことがなかったんだ。 で、言われて、ぼくも観てみたわけなんだけど、確かにちょっと「インセプション」と類似する点があって、おかしな話だけど、こりゃあ、パクリだと言われても仕方がないね!!
  • 00:33  ノーランほどの人間が『去年マリエンバートで』を観てなかったのか。私も見たこと無いが、私は別にノーランではないし、ノーランほどの人間でもない。
  • 07:22  Sガストのつけめんを食べた。麺は、冷やし中華の麺の味だった。たれは、冷やし中華のたれだった。
  • 19:11  フォロー、リムーブ、ブロックはご自由にお願いします。
  • 19:20  インセプションの元ネタだと町山智浩が言っていたボルヘス「円環の廃墟」を読んだ。迷路にいる男の話だと言っていたが迷路なんて記述はどこにも見つからない、ただの円形状の祭壇じゃないのか。男が妄想に妄想を重ねて一人の人間を具現化するが実は主人公の男自体も誰かの妄想でしたという話。
  • 19:21  ハンターハンターで言うと一日中ゴリラを触ってたゴレイヌ自身が誰かの念獣だったという話
  • 19:29  町山智浩はこれが唯我論を否定する話だと言っていたが個人的にはそれは怪しいと思う。これはつまり、「まあこの主人公も作者である俺が考えたんだけどね」って話じゃないだろうか。クリストファーノーランがボルヘスの短編を好きだというのは雑誌のインタビューで見たので、参考にはしてるかもしれない
  • 20:40  町山智浩のインセプション評で一番納得がいかないのは産業スパイの話をマクガフィンだ、話を進めるだけのものだと言った部分だ。確かにサイトーの動機や物語上の役割はこの映画では大きな問題ではないが、私は、これはロバートと父親の葛藤を描写する時に余計な味をつけないようにするためだと思う。
  • 20:51  サイトーの目的が余りにも正しかったり、間違っていたりしたら、それだけロバートは憎むべき加害者や同情すべき被害者として観客の目に映りやすくなる。「渡辺謙の役柄は曖昧で抽象的でなくてはならない」とノーラン自身が語ったそうだが、それはロバートの役柄を豊かに描きたかったからではないか
  • 20:52  要するに町山智浩のインセプション評はロバートの物語について全く触れられていない。それが欠点だと思う。
  • 21:00  あの映画の一番のクライマックスはロバートと父親の和解の場面じゃないのか。
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